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丹沢ジャーナル

2008年4月 「森林技術」4月号no.793 論壇
丹沢大山自然再生委員会の活動 −市民参加から協働へ−
木平 勇吉   東京農工大学名誉教授  丹沢大山自然再生委員会委員長
<解説>
「森林技術」誌とは森林技術協会が発行する森林に関する総合専門誌です。行政、企業、研究者、学生など10,000人以上の読者を持ち、70年以上の歴史がある月刊雑誌です。そのトップ記事「論壇」にこの丹沢の記事が載りました。2008年4月号ですから2年前です。再生委員会が設立されて1年目の状況を説明するよう編集者から求められたのです。
丹沢の自然環境の現状、県民参加による総合調査、再生委員会の設立、その活躍への期待など丹沢再生活動の概要が纏められています。一般読者向きの内容なので専門的な記述はありません。丹沢問題の要点を描き多くの人に興味を持ってもらうことが目的です。
丹沢問題には日本のあちこちで起こっている現代の森林問題に共通する課題が凝縮されています。この記事により丹沢を理解してもらうだけでなく、いま、日本が、世界が直面している「持続可能な森林管理」を考える機会になるとよいのですが。 (2010年2月4日 木平勇吉)

 行政が行う事業を市民が反対するのが自然保護運動であったことは古い記憶になってしまった。いまは市民参加と合意形成を標傍する行政の仕事と話し合いを重視するボランテイア団体の活動が盛んになり社会に定着してきた。さらに協働(*注1)という概念がひろがっている。官と民(*注2)がどのように協力して自然環境をまもるかについて、丹沢大山自然再生委員会での活動体験を通して述べてみる。
これまで私は市民活動による環境保全に関心はあったが、傍観者として論評する立場に留まっていた。現在は活動現場のまん中にあって、さまざまな意見の人々と一緒に日々の課題に直面して、理屈ではなく手足を使いどうすべきかに取り組んでいる。実践での戸惑いと期待との中から「市民参加から協働へ」の考え方を整理してみたい。
舞台は神奈川県の4万haをこえる丹沢山地であり、そこでは2人の主演者が登場して話が展開する。1人は神奈川県であり、もう1人は丹沢大山自然再生委員会である。話の前半は事実であるが、後半は私の意見であり希望でもある。
荒れていく丹沢の自然環境
 横浜から見えるほど近くにありながら、丹沢は険しい山々を渓流が深く刻み、野生の動物・植物が豊かである。日帰りができるが、かなり強い脚力がいる。里山散策からクサリ場のある登山、シカや野鳥に四季の花と素朴な温泉や史跡も多い。人の手の入らない自然らしい自然が多くの丹沢フアンを呼んでいる。昔ここを訪れた読者の思い出は「深く、暗く、静かな山」であったと思う。この自然が、今ひどく荒れている。1980年代から生態系の異変が始まり、地域の自然の荒廃は徐々に、しかし、着実に進み現在はさまざまな現象が顕在化している。それらはニホンシカの過密化、ブナ大木の枯死、植林地の手入れ放棄、渓流生態系の荒廃、希少種の絶滅、外来種の増加、登山客のオ−バ−ユース(*注3)、地域社会の低迷の8つに端的にあらわれている。その原因には人間社会の変化と深い関わりがある。1950年代の燃料革命、1960年代の高度経済成長と拡大造林、1970年代の山ろく周辺の都市化と農山村人口の流出、大気汚染、1980年代以降の森林管理の放棄、水源林施設や登山ブ−ムなどである。隣接する東京・横浜の大きな都市社会の負の影響を強くうけている。

尾根筋のブナ大木が枯死し、後継樹が見えない
 かつては尾根を覆っていたブナの原生林の老木が集団で枯れはじめた。病状は東から西へ進んでいる。まず、葉が落ち、しだいに枝が少なくなり、やがて幹だけの白骨林となる。原生林を期待する登山客は失望する。大気汚染、虫害、土壌の乾燥などが原因として挙げられる。稚樹などの後継者がないのでこのままでは当分は更新されない。自然に放置するか人手をかけるかについて読者から意見をいただきたい。
 1960年代の拡大造林により植栽された人工林では長らく間伐が行われていない。所有地の境界がわからず誰のものかもわからない。林内は暗く下草や潅木は見えない。土壌が流れ出して溝が深く掘れている。根が浮いていて痛々しく、そして気味が悪い。土を失った土地は不毛の死の世界であり森は再生できない。

手入れされない人工林と土壌流出
  自然再生活動の舞台となる丹沢は2つの社会的な問題をかかえている。1つは利害関係者の多くが都市住民であり、意識の上では関心が高いが日常の暮らしには遠い存在であることだ。まもるべき大切な自然環境として県民900万人の気持ちは一致している。行政もNPOも地元住民も共通する意識をもっている。しかし、切実感にかける。なくてはならないが気つきにくい社会的共通資本としての性格が強い。社会的共通資本とは、人間が人間らしく生きていくために必要なものであり大気や森林などの自然資本、道路や水道などの社会資本、そして教育や医療などの制度であり、すべての人が利用できなければならない。
もう1つの問題は、小規模な私有林が多く、30年生前後の立木が育ち将来は販売できるかも知れない植林地が多いことである。農林業を生業とした過去を引きずりながら、今は山の手入れが放棄され、所有地の境界がわからないという現実がある。森林に期待する役割と社会体制の変化の中で、誰がどの様にしてこの自然再生の課題を担うかが端的に問われている場所である。
丹沢再生のための総合調査 −成功した市民参加事業−
 このような丹沢の荒廃に対応するために2004年から2005年の2年間に地域の社会問題と自然環境の問題を含めた総合調査を神奈川県が企画した。県民参加を標榜して、県民で構成される「実行委員会」によって調査が進められた。調査項目は生き物、水と土、地域再生、情報整備に大別されて、さらに32の小項目に細分された。参加者は500名を越える大規模なものとなった。この調査の成果は学術報告となり、さらに、これからの再生事業のシナリオとして県知事に提案され、2007年から始まった神奈川県丹沢自然再生計画として実を結んだ。実行委員会の組織と運営の仕組みを図に示す。
県民と行政とが協力した総合調査実行委員会の構成
 実行委員会は調査を設計し、広報と県民参加を進める中核機関である。委員はNPOから9名、マスコミ4、企業4、関係団体7、研究者7、神奈川県6、国3で構成されている。調査の実施、解析、報告は調査団で主に研究者である。企画と財政を含めて事務局は県が担当した。

実行委員会には企画部会と広報部会とが設けられて調査の筋書きを作り県民へのPRを進めた。調査を実施するのは調査団であり、委員会運営や調査を支援するのは事務局である。事務局は神奈川県職員が担当したが、それ以外は県庁外のNPO、企業、マスコミ、市町村、関連団体からの代表者、林家、研究者などであった。公募により参加したNPOの自主調査も行われた。専門的な調査には県試験研究機関、博物館、コンサルタント、大学の研究者が担当した。テ−マによっては県と専門組織の間で委託契約がむすばれた。調査項目も調査員も多いことはすでに述べたが、華やかなパンフレット,のぼり旗、ポスタ−、新聞の連載記事、講演会などの県民へのPR活動が広く繰り広げられた。データベ−ス「e-tanzawa」や「アトラス丹沢」は内容が豊富で美しく楽しい地図であり、また、古い資料も収集され展覧会として公開された。 この実行委員会の活動を支えたのは事務局役の神奈川県緑政課と自然環境保全センタ−である。保全センタ−とは研究と普及、自然公園と県有林の管理などをになう県の技術者集団であり、行政の企画と現場の調査とを調整して県民参加の成果を上げるのに大きな役割をはたした。この調査は行政が発案し県民が参加して素晴らしい結果を得た市民参加の優れたモデルであるといえる。
さて、この実行委員会方式による調査の功罪を市民参加の視点でまとめてみる。調査の役割を一般化して要約すると、@企画は行政、A運営は市民、B調査は市民,C結果の分析・報告は市民、D事務局・予算は行政となる。これはトップダウン(*注4)型市民参加あるいはプログラム化された市民参加といえる。この体制の特徴は企画者により目的が設定され、仕事の全体がいくつかの部分に分割されて、その部分の担当者の責任が明確なことである。部分を担当する市民はやるべき仕事の目標、期日、予算が与えられ、その範囲内で思い切り活躍し責任を果たすことが出来る。与えられる範囲では自主性が保証され、さらに他の部分との調整・合意の手続きやロジステック(後方支援)のわずらわしさから開放される。企画者は全体を体系的にきちっと分割することと後方支援を果たすことにより目的を達成できる。さらに両者には調査実践を通して仲間意識が芽生え、信頼感がそだつ。室内での議論ではえられない良い点である。
丹沢の場合は神奈川県の優れた企画力と労を厭わないロジステック、そして多くの県民の積極的な参加と両者の間に生まれた信頼関係に支えられた県民参加事業であったといえる。
一方、このトップダウン型で、プログラム化された市民参加事業には大きな欠点が潜む。市民は「お釈迦様の手のひらの上で暴れまわる孫悟空」に陥りやすいからである。疑問や批判の心を失う。内発的なきっかけではないから熱意が続かない。手段の目的化がおこる。長い時間で見ると市民活動の進展は停滞するとおもう。与えられる企画を待ち、後方支援を待ち、居心地のよさに任せて自立しなくなるからである。市民参加のつぎの段階である協働へのブレ−クスル−(飛躍)が起こらないからである。
行政にとっては堅実で進んだ方法ではあるが、折角の努力にもかかわらず陳腐な成果に終わりかねない。市民参加が潜在的にもつ大きなメリットを十分に生かしきれないからである。行政にとって市民参加とは何か、形だけではなく、どのような意義を見いだすかを考えなければならない。
自然再生委員会の設立 −新しい官民協働の組織−
 総合調査の成果は神奈川県の再生事業に引き継がれた。そこでの大きな特徴は自然再生委員会の設立である。趣旨は「国、県、市町村、民間団体、企業、県民が参加し、自然環境の保全と再生の全体構想を策定し、専門的に問題を検討し、モニタリングや解析を行う。県民の参加を促し、普及啓発し、企業、NPOからの資金調達、広範な参加型管理、順応型管理、統合的・流域一貫の管理を推進する」と文章化された。しかし、運営の実際の方法は新たな再生委員にゆだねられた。
委員会のこの理念は自然再生推進法(2002年)にそったものである。この法律は協働時代の幕あけといわれ、市民と行政が対等な立場で参加し、円卓の場で自然再生の全体構想を作ることと、地域住民やNPO・市民を事業の担い手と考えた最初のものである。釧路や知床など全国で試行の段階である。しかし、私たちは手探りでも自分自身で考え、地域の実情に合わせて作ることにした。今は法律に基つく組織ではない。
委員会の構成をスケッチしてみる。委員は全体で43名で学識者、NPO、マスコミ、企業、関係団体、行政(国、県、市町村)の代表者である。内部組織として幹事会、計画・評価専門部会、県民事業専門部会、事務局がある。
官民協働で自然再生を進める自然再生委員会の構成
 委員は学識者9、NPO10、マスコミ4、企業3、関係団体7、行政(国、県、市町村)10の43名である。
計画・評価部会は事業の計画と実際の進みぐあいを見て、必要なら計画内容を修正する順応的管理を進めるエンジンである。県民部会はPRして県民の参加意識をたかめるエンジンであり、さらに会員のNPO活動を支援したり独自の企画を進めるところである。このように委員会の目的、組織、会員、運営規定などの形は整っている。財政は企業協賛金、会費、助成金を含めての基盤つくりの最中であり大きな課題となっている。事務局は暫定的には県が担っているが、ささやかな独自のものを立ち上げたところである。委員会は2006年の秋に発足し、それまでの総合調査の実行委員会のメンバ−が横すべりして1年間がたった。この横すべりは新しい委員会の苦難の道の始まりである。協働への理念は高く夢は大きいが、現場での実践はこれからである。
再生委員会の性格  −市民参加と協働についての私見−
 自然環境問題への市民参加の歴史は日本では30年になるが,内容により4つの段階に分けられる。
(1)作業参加:行政などが準備した保全活動である植林や保育作業に市民が参加する。
(2)計画参加:開発や保護の計画段階で市民が意見を述べ理解を深めて合意を導く。
(3)決定参加:代替案の中から最終案を決定する場面に市民が参加する。
(4)実行参加:保護や修復などの事業を主体的に行う。
作業参加は最初にあり、最も参加しやすく、最も責任は軽い。最も楽しいが、しかし、最も重要な段階である。現地での作業体験は森や川の実態を知ることができるからで本や室内学習よりはるかに楽しい。現在はこの段階の参加が多い。これに対して計画参加には参加する側にも参加を受け入れる側にもかなりの準備が必要であり抵抗感ある。参加するには問題の理解、意見、そして協調のための実力が必要となる。受け入れる側には説明する能力、高い専門知識、先を予知する能力が求められる。さらに同じ立場で話し合える「寛容」な気持ちになる自覚が必要である。とくに行政担当者にとっては発想の転換が求められる。しかし、長い間に生じた権限やテリトリ−の意識を払拭することは容易ではないであろう。
決定や実行への参加は協働といえる。対等で自立した立場での協力である。上下ではなく横並びの関係である。協働とは既存の行政組織では果たせない役割を補完する活動である。他者が持たない能力をそなえ、しかも、目的を共有し、結果に責任をもつことである。
さて、この再生委員会には作業参加や計画参加の役割もあるが、基本的な性格は決定と実行に参加する協働の役割をもつ自立した組織であると考えている。行政の計画つくりや実行結果のモニタリングは行政の仕事の下請けとしての分担ではなく、独自の判断でもって進める再生事業そのものである。自立性があることにより存在価値が社会で認知される。官庁のパラサイト(*注5)的な団体では将来は暗い。
再生委員会の現状 −委員長の反省−
 さて、発足して1年目の時点で委員会について次のことを振り返ってみる。
(1)会員がこの委員会の性格をどの様に考えているか。
(2)再生事業の実行主体としての運営能力が備わっているか、とくに財政や事務局など組織の基盤をどのように作るか。
(3)生みの親である神奈川県と委員会との将来の関係はどうあるべきか。
現在の委員は、すでに述べたが神奈川県が行った調査の実行委員会からの横滑りであり、新しい再生委員会の性格を十分には理解しないままの惰性的な参加という面がある。たしかに丹沢の調査と再生事業とは直結しているが、前者は県が企画した事業への参加であり、後者は自立した新しい役割を自分で作る組織である。性格のまったく異なる委員会であること気つかずに進むと、「そんなつもりではなかった」との気持ちが出てきて議論はさめてしまう。他人が作った組織であればその内容をみて参加するか否かを決めればよい。しかし、自分で作る組織は参加してから後に内容を議論することになる。再生委員会は新しく生れた組織であるから今後の内部での議論と合意と説明が欠かせない。先にプログラム化された参加の欠点を述べたが、与えられる課題と支えられる態勢になれ過ぎて縦型社会での生き方が上手になり、横型社会での生き方には慣れていない私自身の弱みを感じている。
実行主体としての委員会の運営能力については、NPOや法人からの代表者と学識者で構成されるので議論は活発であっても散漫になり収斂しない。協議の機関となりがちである。議論の素材となる原案の企画力がよわく、議論の結果を取りまとめる集約力が弱い。新しい創意とすばやい決断がもとめられる市民組織の良さが発揮できない。会議が多くなりがちで出席者に徒労感がたまる。やる気は萎む。今は運営能力を高める工夫が必要であり、これを乗り越えている先輩の市民活動から学ばなければならない。資金獲得には日々の努力が基本であり、人頼みの補助金・助成金だけによる市民活動は伸びないと思う。官庁の委託事業を財源にする場合もあろうが限度がある。事務局を持ち、優れた事務局員を育て、運営能力を高めることは絶対に必要である。活動についての意思決定では現場の担当者を中心にしたボトムアップ(*注6)の流れと自主性が大切である。
神奈川県と再生委員会との関係については、さきに述べたが、委員会の委員と県職員は総合調査と再生計画を一緒に取り組んだ仲間であり、丹沢再生への共通の思いと信頼感がある。そして両方にとって将来とも再生事業を進めるのに重要なパ−トナ−であり、そうあって欲しいと期待している。しかし、委員会の仕事は県職員の仕事ではない。県職員の行政の仕事は委員会の仕事ではない。協力には限界があり、信頼は続つくとはかぎらない。協働が実質化することにより、そして両者にとって役に立つ組織であることにより絆は強まるであろう。
協働への期待
 行政と市民の協働とはどのようなものかを、私はいつもイメージとして描いている。私が期待する姿の輪郭を箇条的に挙げてみる。
(1)協働する組織にはどちらにも「実力」がある。特に、一方が持っていない能力があり、互いを補完できる力がある。
(2)両者の間には信頼感がある。気分だけではなく組織の運営や問題解決の能力について信頼できる。
(3)必要なとき、あるいは求められた場合に、互いに協力して一緒に、自立的に仕事に取り組む。
(4)そこでは共通の目的意識を持ち、仕事を協力して行うことの意味を理解している。
(5)仕事の結果に互いに責任を持ちつつけて、社会への責任をわかちあう。
(6)公開された場で仕事をすすめる。
行政と市民との協働の事例をのべるつもりで書き始めたが、その目的は達せなかった。それは、私には実際に協働と呼べるだけの実績がないからである。丹沢大山自然再生委員会がこれから実際に活動して実績を積み、神奈川らしい方法で協働とは何かを具体的に説明できるようなりたいと願っている。

*注1:複数の主体が目標を共有し力を合わせて活動する
*注2:行政と民間
*注3:使い過ぎ、過剰利用
*注4:上層部が業務の意思を決定し下部へ指示する管理方式
*注5:寄生虫、寄生植物
*注6:下からの意見を上部へ汲み上げること、現場からの提案を採用すること
  


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