人も自然もいきいき! 丹沢大山の自然環境の保全と再生を推進する 丹沢大山自然再生委員会
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丹沢ジャーナル
2010年4月 雑誌「森林レクリェーション」
丹沢の自然とその再生(2)
木平 勇吉 東京農工大学名誉教授 丹沢大山自然再生委員会委員長
首都圏に近く、原生的な自然が残されている丹沢は森林レクリエーションに最適な場所ですが、今、そこでは生態系の撹乱が起こり、深刻な自然破壊が進んでいることを前号で紹介しました。 この破壊を食い止めて、以前の豊かな自然を復元する自然再生活動が始まり、実態調査に基つく再生計画が作られて実行されています。その中で特に深刻な問題となっている土壌流出について、対策としての間伐とシカの問題を説明しながら私の意見を述べます。 丹沢で自然破壊が目につき始めたのは1980年ごろですから、それからの30年間にさまざまな異変が起こり環境問題は深刻化しました。したがって、それらを復元するには30年間以上かかるでしょうが、今、着実に再生の方向に向っています。この文を読んで丹沢問題に関心を持たれた方は、ぜひとも現地を訪れて自分の目で確認して助言して下さい。
丹沢の春の里山の景色です。新緑の広葉樹天然林と常緑の針葉樹人工林がモザイク状に広がっています。昔は薪炭林であった広葉樹天然林とスギ・ヒノキ人工林の小さな林分がまざりあっています。広い地域をランドスケープとして考えると水源域としても動物の棲みかとしても優れています。丹沢の里山地帯を占める代表的な風景です。
現状調査から始まる再生
再生活動の第一歩は現地の実態を知ることです。丹沢での総合調査の歴史は古く1960年代に動植物の目録調査が行われました。次に、自然破壊が深刻化して対策が迫られた1993年から1996年の4年間に「丹沢大山自然環境総合調査」が行われました。専門家だけでなく一般県民も調査に加わり400人を超える人々が生態系の異変を明らかにして、行政に対策を立てるように提言をしました。神奈川県はこれを受けて1999年に「丹沢大山再生計画」をつくり本格的な活動を始め、再生活動の中心的な実行機関として神奈川県「自然環境保全センター」を設立しました。シカの食害を防ぐ植生保護柵や樹木の幹を保護するネットや放置された個人所有人工林の手入れ支援が始まりました。
さらに、総合的で根本的な対策を進めるために3度目の総合調査が2004年から2006年の3年間に行われました。これには研究者、行政官、NPO、企業、マスコミなど500人を超える県民が参加しました。調査結果はGIS型データベースや学術報告書となり、それらに沿って新しい再生計画が作られて、次の8項目がすぐに解決すべき課題として挙げられました。(1)ブナ林の再生 (2)人工林の再生 (3)地域社会の再生 (4)渓流生態系の再生 (5)シカの保護管理 (6)希少動植物の再生 (7)外来種の除去 (8)自然公園の適正利用。
植林地の苗木がシカに食われた結果、ススキ原となっています。かん木などの後継樹もシカに食われて生育できません。森林に戻り生態系が回復するには超長期間が必要です。ほって置くのも可能ですが、人の手助けが必要かも知れません。
間伐がされてないので人工林内は非常に暗く、下層植生はほとんど見えません。土壌が流出して植栽されたヒノキの根元は高く浮き上がっています。失われた土壌は半永久的に再生できないので水源かん養機能は失われます。
私は2004年の綜合調査に始めて参加して以来、丹沢の魅力を少しずつ知るようになりました。そして、今は再生活動の中心にいます。これまで大学で得た森林の知識を現地に活かせる機会を得ました。理念に偏ることが気がかりですが、人工林とシカの問題について私の考え方を説明します。
人工林の保育放棄と荒廃
1950年代の燃料革命(家庭燃料が薪炭から石油系に代わったこと)により雑木林が不要になり、伐採されて建築用材を作るスギ・ヒノキ林に変わりました。その後、1960年代には高度経済成長により急増した建築用材の需要に応えるための拡大造林政策(天然林を伐採して人工林にする)が始まり、スギ・ヒノキが大規模に植栽されました。しかし、その後の林業衰退により保育作業は放棄されたので本数が多く、細いモヤシ状の森が全国的に増えてきました。丹沢もその流れの中にあり、とりわけ大都会に近いので土地所有者は都市に移り森林管理の放棄は極端に進み、自分の森の場所も境界も分からない状況になりました。
丹沢のブナ原生林を訪れた神奈川県の松沢知事(右)は水源環境として丹沢再生へ強い熱意を持っておられます。同行した神奈川の環境大使をつとめるシンガーソング・ライタ−の白井貴子さん(中)と筆者(左)。
このスギ・ヒノキ人工林は長らく間伐されずに放置されていました。
保育間伐が済んだ林相はかなり貧弱です。幹は細く、枝が少なく、成長力が弱く下草もかん木も見えません。下層植生がなく水源かん養機能は低いと思います。
長い間放置された樹齢の高い人工林で間伐が行われたところです。切り捨てられた間伐材が地面に散在している以外にはかん木も下草もなく土壌の流出が危惧されます。水源林の整備作業としては疑問が残るので再検討が必要だと思います。将来の林相が描きにくいケースです。
この放棄された人工林ほど厄介なものはありません。遠くからは鬱蒼としていますが林内は暗く、地面には草もかん木もなく、土がむき出した裸地となります。雨に洗われて土は流れだし、根は浮き上がります。「根が浮き出した人工林」は丹沢の自然破壊の典型的な病状です。根が浮き上がった森の風景は不愉快きわまりないものですが、風景だけでは済みません。土壌の流出・喪失は森林に生きる植物・動物の生存基盤を破壊します。流れ出した土は渓流を埋め、やがてダムに流れ込みます。このように所有者から忘れられ,管理が放棄されて森林生態系が撹乱した森が現在の丹沢には多くあります。 建築材の生産は達せられず、水源かん養、災害防止、レクリエーション景観などの公益的機能の喪失は、私たちの暮らしになくてはならない財産である「社会的共通資本」として森林を失うことを意味します。そこで、このような荒れた人工林の管理を個人所有者に代わって税金を使って公的に管理するのが丹沢再生の役割です。
林業のための間伐が水源林事業で行われたところです。水源林地域の中の人工林は植栽した時は木材生産が目的でした。保育をせず管理放棄した所有者は、しかし、木材収穫を期待しています。水源林として管理する建前と個人財産としてのおもわくとは現場で衝突します。県民の超過課税による「森林の公的管理」には矛盾がつきまといます。
間伐の方法
このように過密で暗い人工林を整備する手段は一般には間伐により明るくするのですが、その間伐の内容が丹沢では問題になっています。間伐とは伝統的な意味では、立派な植栽木を残し、将来に高く売れる木材資源を育てることです。大きくて、通直で、傷のない優良木が均等に残るように伐ります。伝統的な林業生産技術です。
ところが、将来、水源林や防災林や動植物の生息地などにするためには間伐の方法はまったく異なります。 一口に言えば「生態系としての健全性」の維持を目指すための間伐が求められます。
植栽木だけでなく自然に侵入する雑木、広葉樹、かん木、つる、下草などのすべての植物が競争しながらバランスが取れた自然の状態に導くことです。植栽木だけをエコ贔屓するのではなく、あらゆる植物・動物を大切にすることです。木材生産管理ではなく生態系管理です。このような間伐の方法はほとんど経験がなく、あまりわかっていません。土地条件、場所、植生などの状態を見て考える技術です。
天然広葉樹林を「整備」した結果です。 広葉樹の上層木が伐採されて林内の照度は明るくなりましたが林床は裸地状態です。整備まえからかん木はなかったのか、整備により切り払われたのか、疑問の残る水源林「整備」作業です。天然林の手入れ方法は悩みの種です。
水源林づくりを目指した人工林について、つぎのような保育作業は原則としてマイナス要素であり、整備ではなく破壊だと私は考えています。例として、下草を刈ること、かん木を切り払うこと、つるを除くこと、枝打ち、落葉・落枝を取り除くこと、林床(地面)をきれいに掃くこと、外来・他地方の苗木を植えること、地面を掻き起すこと、地形を掘り変更すること、歩道や作業道など裸地を作ること、水みちを作ること、コンクリート工作物を設けることなどです。これらの作業は一般に「森林整備」と考えられて、金をかけ、労力をかけていますが再考するべきと思っています。もちろん、木材生産を目指す場合は違います。丹沢での水源林整備の費用の多くは神奈川県民の超過課税(普通の税金のほかに特定目的のために税金を払う)で賄われています。したがって、税金をムダにしたり、水源林の破壊に使われることのないように気をつけなければなりません。このように水源林つくりではどのような間伐が良いかの検討が丹沢再生活動の重要な課題になっています。
シカの採食圧
土壌の流出は人工林での保育放棄だけでなく、シカの採食圧が大きな原因になっています。シカが多くなると背丈以下のかん木、下草、あるいは落葉までが食いつくされます。シカの数が多すぎるか、特定の場所に集中すると食害が起こります。適正な頭数、適切に分散した生活域、それに見合う草の量とのバランスが保たれることが必要です。丹沢ではシカ対策は重要な課題として精力的に進められています。このように土壌の流出は保育放棄による立木の過密化とシカの過密化が原因です。対策は森林保育とシカ管理との相対的な組み合わせとなります。
シカ対策として現在のところ、捕獲により頭数を減らすことと植生保護柵の設置とが行われています。この柵はシカ柵とも呼ばれてシカがまったく入れない場所を設けることです。したがって柵の中ではシカの影響はまったくありませんから植生は確実に再生し生育しています。丹沢では大小さまざまな面積の柵が多く作られて、柵の総延長は約40kmに達しています。これらの柵の外に生える草の量に見合ったシカの数が適正密度となります。どのくらいかを推定していますがかなりの幅があり、1キロ平方あたり1頭から数頭でしょうか。間伐の方法、シカの頭数管理、植生保護柵の設置をおそるおそるやりながら、その結果がどのようになるかをモニタリング調査で調べています。
植生保護柵により囲われた部分の林床にはびっしりと下草が生育して地面を覆っていますが、柵の外(手前)には下草はなく地面が露出しています。シカの採食により下層植生が著しく変わることがわかります。
天然林の手入れ
与えられた自然環境の中で成立する天然林は、人の手をかけないのが「最高の管理方法」と私は考えています。シカの過密化の対策が丹沢では必要ですが、それ以外には天然林の手入れ作業、例えば、除伐、間伐、つる切り、落葉かき、地表掻き起こし、植栽,播種などは不要です。天然林に手をかけて森林生態系の質を向上させる技術はないと考えています。これは森林経営の観点からです。丹沢の天然林の現地には老齢木、傾斜木、根倒れ木、枯損木、病気木など生理的な不健全さと、土壌崩壊をひき起こす物理的な危険が潜んでいます。それは自然の仕組みであり人が手を出す世界ではありません。天然林を護ることは非常に大切です、そのための原則は「触れない」ことです。私たちは天然林施業と呼ばれる技術を持っていますが、それらは私たちが天然林を利用することにより生じる負の影響を少なくするための技術です。超過課税である神奈川県の水源環境税を天然林の手入れに使うには、その技術的な効果と経済的な効果と社会的な効果を説明して合意を得ることが課題となっています。
「天然林の整備作業」によりきれいになった雑木林です。地面には草やかん木がないだけでなく落葉もありません。公園のようにきれいです。しかし、森林としての機能はほとんど失われています。何のためにこのような手入れ作業を行うかについて議論と合意とが必要です。
農地に隣接する雑木林です。このようにするにはかなりの労力がかかっています。懐かしい里山風景のような感じがしますが管理目的が不明確な森林です。水源機能も生物多様性も乏しく、税金を使うには納税者への説得力が弱いと感じます。
丹沢再生には先に述べた8つの課題があり、優先性、緊急性を考えて再生事業が進められています。ここでは土壌流出を防ぐ森林整備について私の考え方を述べました。これらの再生活動の成果が出るにはまだ時間が必要です、もっと多くの知見と経験が欠かせません。読者の皆様からのアドバイスをお待ちします。