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丹沢ジャーナル

2010年1月「グリーンエイジ」掲載
もりとシカの協調管理−7年目の丹沢自然再生−
木平 勇吉   東京農工大学名誉教授  丹沢大山自然再生委員会委員長
<解説>
この文章は「グリ−ンエイジ」2010年新年号の新春随想に載ったものです。「グリ−ンエイジ」は環境・造園・樹木医などを扱う財団法人「日本緑化センタ−」が発行する月刊誌であり全国に広くの読者を持っています。丹沢でのシカの管理についての新しい年への私の思いを纏めたものです。原文には写真がないので、ここでは関連する写真を付けて視覚的なイメージをつけおきます。

 鬱蒼としたブナ林に覆われ、多くの野生動物が暮らし、深い渓谷には真っ白いしぶきが飛び散るかつての「丹沢の自然」は、今、すっかり失われています。しかし、再び豊かな世界を取り戻す努力が神奈川県では続けられています。50年以上かかる自然再生活動ですが私もそれに関わり7年目を迎えています。1年ごとに貴重な経験を重ねながら新しい年の春にあたり、ささやかな私の丹沢再生への夢を描いてみます。

霧が立ち込める夕ぐれの丹沢。豊かな水と土に恵まれた丹沢は潜在的には日本の冷温帯が誇る、後世に引き継ぐべき美林です。
 まず、山に入り、目に映る丹沢の問題は林床植生の劣化とシカの姿です。間伐されず放置された人工林の中は暗く下草は消えています。過度に集中したシカの生息地では下草は食べつくされます。その結果、豊かであった下層植生は消失し土壌が流れ出し立木の根が浮き上がり、水源かん養や生物多様性の機能が低下しています。これを防ぎ回復させるために森林管理とシカ管理を同じ場所で、同じ時期にバランスを取る協調管理が進められています。



手入れが放棄されて陽光が入らず、シカの採食が加わり、下層植生が無くなり土壌がなくなった人工林。目を覆う惨めな林相が累々と続くのが現実です。

 具体的な作業は、@人工林間伐であり、Aシカ捕獲による頭数コントロールであり、B植生保護柵(シカ柵)の設置です。森林を育成し下草と幼木を育て土壌を保持し、シカの食料を確保しながら、それに見合った数のシカが適当に分散した生息状態を保つことです。立木密度,林内照度、林床植生の成長量・現存量、土壌安定、シカの採食量、移動と行動、シカ柵の面積と配置の相互の影響を考えて、区域ごとに状況変化を予測しながら管理を進めることです。どのような状況が起こるかを見まもることによって協調管理の実際の内容を見つけることが可能だと思います。机上のシュミレーションや方程式では解けそうもありません。
それぞれの作業には課題があります。まず、間伐については、なんのために、どのような姿の林分を目指すかが問われます。木材生産を続けられるところであれば、これまでどおりの「木材生産の間伐」すなわち、劣勢木や侵入樹種を除き主林木の密度管理が行えます。木材生産でなく水源林とするところでは生態系の健全性が目標となり、まったく違う間伐が必要となります。林床植生の維持・育成と土壌安定が主眼となり、上木の種類や形状は問われません。形の悪い木、劣勢な木、つる、雑木、枯れ木を残すことも大切で、立派な大きな上層の木を切ることも必要でしよう。「伝統的な間伐」とはまったく異なります。このような「林床植生・土壌保全の間伐」の技術は確立されておらず試行中です。ここでは森林生態学の専門知識が必須です。



シカは丹沢の自然の豊かさの象徴です。可愛い姿は登山の楽しい思い出です。正しい知識と絶えまない努力を人間が欠くと「害獣」に変身します。

 次に、シカ捕獲です。まず、シカの現在頭数、生息場所、移動行動の実態を知ることが必要です。定期的なモニターリングで状況データを得て、地域の森林での収容量を決めて捕獲と分散を試みることです。シカは鉄砲をおそれ、保護区に逃れ、食料のある所に集まります。農地にも出没することもあります。
ここでは森林の知識ではなく「野生動物管理」の知識、動物の生理、生態、狩猟を管理する広い技術が必要ですが、私たちには十分ではありません。例えば、丹沢でのシカの適正密度は平方キロ当たり1頭か、2頭か、5頭でしょうか。
最後は植生保護柵の設置です。柵にはシカを完全に近づけないことにより植生がどのように回復するかを実験する役割と、草資源を育成し、後継樹の更新や希少種・固有種の保護の役割とがあります。森の全域を柵で囲えばシカは1頭もいなくなり、まったく柵なしでは林床の下草はなくなり土が流れる状態が今よりひどくなります。保護柵の計画とは、どこに、どれだけの柵を設置するか、そして柵のない林地をどこにするかです。柵内では下層植生は5年程度で回復することが丹沢では実証されています。将来、柵を開放するとシカの食料源にもなります。基本となる課題は広域で期待する森林生態系サービスと林相の配置を設計することです。広域で長期にわたる上位計画の下で柵の設置場所、量、あるいは期限を考えなければなりません。土地所有者をはじめ公益機能の受益者の合意が必要です。もちろん、柵の設置や維持などの労力と経費も大切ですが、基本は持続可能な森林経営の基盤デザインです。ここでは森林の経営計画の専門知識が求められます。

シカ柵=植生保護柵が「万里の長城」のように丹沢に広がっています。健全な生態系が戻るまでの自然のなかの異物です。今、手探りの努力が続いています。
 
シカが入らないと下草とかん木が回復します。病める丹沢を再生させる手段であることがわかります。しかし、「不自然」な感じは否めません。
 さて、これらの多くの課題を考えながら事業を推進しているのは丹沢再生に関わる行政官、専門家と多くの県民であり、「丹沢大山自然再生委員会」です。この委員会は「官民協働による自然再生」の理念にそって作られた組織です。その運営に私は関わって7年目の新春を迎えました。一歩一歩前進したいものです。皆様の支援をお願いします。
  


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