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丹沢ジャーナル

NPO法人丹沢自然保護協会「丹沢だより」第18号(1971年5月)掲載
歩みは小さくとも
故 中村芳男 当時 丹沢自然保護協会会長
 昨年の春、青山学院の中等部の先生が「ワークキャンプをここでしたい」と言って来られた。戦後の日本にワークキャンプというものがはいって来てからこうしたことが全国で、広くおこなわれるようになったのだが、はじめは、(勤労奉仕ではないか。)といつものくせで反感を覚えたものだったが、この新しい言葉と行動は全国津々浦々に拡がって行った。
そして私共の養魚池の側壁の石も、長尾々根への入口の階段も、鳥居杉の鹿のための牧草も、みな馴れぬ都会の男女青年たちの手で整備され、牧草の方法は、当局もその成果をまねるほどだった。
だが、この深い山で、中学生に何が出来るのだろうか?というのが私の疑問であった。
「多分だめでしょう。」
と何度か言ったが、この中学の英語の先生はいっこうに退かない。そして或る日、
「道なら作ってほしいのだが。」
と言う私を引き立てるようにして前山の道のない所を歩きまわった。それでついに夏休みにワークキャンプをお願いすることゝした。
営林署の担当区主任も快く承知して下さり、廃道同様の柏木林道の末端、ヤビツ峠から門戸口(青山荘)までの間の1.5キロの道は3日がかりでつくりなおされてしまった。整備という名をはるかにこえた新設に等しいものであったが、この少年少女たちがやってのけた。おかげで、いまハイカー達はこの道によって自動車のほこりも、排気ガスもかぶらずに歩いている。
3日目の夜、私はこう言った。
「自然を還えせ、という運動はあるが、しかし声だけでは自然は還らない。実際に自分の手にとり返すまでは自分でやるんだ。」
と。
それからこの中学生たちは青山へ帰って冬の寒い日に巣箱づくりをして明治神宮の森にかけ、誰かのかけた古い巣箱をはずして来て、煮沸消毒をしたりして、身近かな、やり易いところから自然奪環の行動をしている。そしてこの春は、昨年自分らで作った柏木林道の樹間につくったひとつひとつの巣箱をかけたが、早速ヤマガラが営巣を始めている。
中学生という子どもらがこれをやってのけたわけだ。しかも都会の子らが!
私共のところへよく「何々を告発する会」という様な名の所から一緒に行動する様にと誘いの声がかかって来る。が、なるべくその様なことは人にまかせて、こつこつと自然奪還の実際行動をとりたい。告発する声は大きい方がよいが、実際に歩いて見せる方は小さくてもそれなりの説得力もあり、それだけずつは自然が返って来る。
この子たちの運動が更に拡がり、更に効果があがることを信じ、祈り、そして我々もあらためて真似ようではないか!!
  


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