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丹沢ジャーナル

NPO法人丹沢自然保護協会「丹沢だより」第26号(1972年1月)掲載
丹沢の箒杉物語り(後編)
故 ハンス・シュトルテ 当時 丹沢自然保護協会副会長 栄光学園副校長
箒杉
平成23年6月の箒杉。 写真提供:丹沢湖ビジターセンター
 ある冬の日、私は城ヶ尾峠を越えて、道志へ下ったことがある。雪が降ったせいもあって、静かなこの峠はなお静かに感じた。道志村に入り、昔の宿場の面影を保った旅館に泊った。囲炉裏ばたにかもしかの毛皮がしいてあって、自在に掛けてあった鉄鍋の中に鹿の肉をたっぷり投げ込んだ味噌汁をごちそうになった。床の間においてあった「道志七里」という本を読んでみたら箒杉の話を見つけた。私の記憶にまかせて、話を記しておこう。
・・・箒沢は小さい山村で戸数は十数軒にすぎない。ここに二千年余を数える古い杉があって、高さは百五十数尺に及ぶ・・昔、道志の杣夫は伐採や炭焼きのため、奥山に入り、いつのまにかあちら側の部落民と親しくなってきた。若衆はこの里に咲く山中の花と恋をするようになって、移り住むことが多くなった。箒沢の祖先の中には道志から山越えした者もいる結果となった。
今まで見てきた西丹沢の荒々しい男性的な歩み方と対象的に、ロマンスのあふれた面を知って、何か救われた気もする。豊かな、広々とした生活ぶりをおくった甲斐の道志村の人々の山の向側の小さい山村の見方はまことに優雅なものだと思った。山へ炭焼きに行ったはずの村の若者は炭焼き釜の前に立って、はるかに下の谷底に異国の部落を見下して、好奇心にさそわれて、そこまで下りてしまった。貴族の特有の美しさを保ち続けてきた部落の娘たちを見て、どんなに驚いただろう。老杉にこのことを聞いてみたら、ほくそえんでうなずいた。
道志から山越えしてきた、かもしかや熊の毛皮で身をまとって、腰に斧、手に長柄の鎌を、足にわらじといういでたちの若者と、頭に組手拭い、黒手甲をはめた小紋染小袖姿の「山の花」の談笑を幾度も盗み聞きしたことを恥ずかしそうに告白してくれた。しかし、部落の人たちの苦しみと悲しみをともにしたこの老杉は彼等の喜びをも心から祝福したらしい。箒沢の「山の花」と生活を一緒にする決心して、家財を馬の背に乗せて破風に峠を越えて、下りてくる若旦那を部落で待っている人たちより早く見つけた老杉はじっと見守ったようだ。また若妻として道志村へ移住して、新しい生活を始めようと親に別れを告げあの険しい峠道を登っていくおよめさんを峠の向こうへ消えてしまうまで見送って、峠でふりかえって、故郷に最後のあいさつをしているこの若い山の花に大きい枝を一生懸命にふったとも話してくれた。
やはり、2000年の樹齢だけに、この箒杉の話は長い。その根元に腰を下して、静かに一服している私に、この巨大な老杉はこう話してくれた。(終わり)原文のまま記してあります。


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