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私たちのくらしと丹沢

私たちのくらしと丹沢 第2部 丹沢を元気にするために


私たちのくらし方や行動で、丹沢を元気にすることができます。ここにいくつかの例をあげました。他にもどんなことができるのか考えてみましょう。


時代   西暦  
奈良   (710〜794) 良弁(ろうべん)というお坊さんにより大山が開山される。
平安   (794〜) 大山が修験道の関東一大道場となる。
江戸 寛永元年 (1624) 東丹沢一帯が幕府の直轄の御用林となる。
炭・木材・漆などが盛んに生産される。
大山信仰が関東全域に広がる。
明治 24年 (1891) 岡野金次郎が尊仏山(塔ノ岳)に登山者として初めて登る。
大正 初期   パルプ材、軍用材として、ブナ・モミの伐採が盛んになる。
  12年 (1923) 関東大震災。崩壊地がたくさんできる。
昭和 16〜20年 (1941〜1945) 軍用材としてブナ・モミが大量に伐採される。
  20年代 (1945〜) 燃料不足を補うため、炭焼きが盛んになる。
  30年 (1955) 国民体育大会の会場として登山道が整備される。
  30〜40年 (1955〜1965) 自然林を伐採し、植林が盛んに行われる。
  39年 (1964) 初の科学的調査「丹沢大山学術調査報告書」が発行。
  40年代 (1965〜) シカによる植林の被害が深刻になる。
  40年 (1965) 国定公園に指定される。
  45年 (1970) 大山のモミの立ち枯れが問題になり始める。
  50年代 (1975〜) ブナの立ち枯れが目立つようになる。
平成 5〜9年 (1993〜1997) 丹沢大山自然環境総合調査の実施。
丹沢をよく知るためには、昔のことをよく学ぶことが大切です。

そのため、現在の記録はもちろん、先祖や先輩たちが残した多くの資料を集め、保存し、いつでも使えるように整理しておく活動も始められています。
 
  


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